2016年7月20日水曜日

柳生和紙について

前回に引き続き今年も石巻の一箱古本市にて、仙台市柳生(やなぎゅう)で手漉きされている柳生和紙の葉書、便箋、封筒、一筆箋を販売いたします。以下、パンフレットの文章の引用です。

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柳生の和紙づくりは、今からおよそ400年前(慶長年間)に始められました。仙台藩主伊達政宗は、米作り以外の産業もさかんにしようとして、福島県伊達郡茂庭村から4人の紙すき職人を柳生によんで、和紙づくりの指導にあたらせました。そのころ、この4人のほかに48戸の家で和紙づくりをしていました。この土地は、きれいな地下水がゆたかで、高館山のふもとにあるため、かわきやすく、紙すきにはつごうがよかったのです。

後には、近くの高舘村、熊野堂村、吉田村でも紙すきが行われるようになり、作り出される量もふえて、街でも紙を売る店があらわれるようになりました。

柳生和紙が最もさかんに作られたのは、明治の後半から大正にかけての時期で、「柳生行くと太白(白砂糖)を食わせられる」と言って、近くの若者たちは争って手伝いに来たそうです。また、そのころの紙の生産額は、中田全村の米の生産額よりも多かったということです。

しかし、大正11年(1922)に、長町に紙を大量に作る工場ができ、西洋紙などが使われるようになってからは、手数のかかる柳生和紙も、たちうちできなくなりました。そのためしだいに和紙づくりの農家もへり、昭和35年(1960)には10戸だけとなり、おもに障子紙などを作っていました。

今では、和紙づくりの農家は柳生の佐藤さんの家一戸だけとなり、菓子のつつみ紙や松川ダルマの型紙を作り、伝統工芸を守り続けています。
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